なぜオヤジギャグは不快だったとしてもアウトプットされるべきなのか。


オヤジギャグ 。

主に中高年層の男性が頻繁に使う、駄洒落や地口の要素をふんだんに含んだ安直なギャグのことである。

wikipediaより引用

代表的な作品としては、

  • ふとんがふっとんだ
  • コーディネートはこーでねーと
  • みかんがみっかんない

などが存在する。

発する側の得意顔とは裏腹に聞く側にとっては「面白くなくとも笑わなくてはならない」という強制力から生じる嫌悪感からか、およそオヤジギャグというものは歓迎されない。

ある人は言った。

言う前から面白くないことがわかっているのについ言ってしまう。
中年になると恥じらいがなくなるから、我慢することができなくなるのだ、と。

しかし、違う。
オヤジギャグがオヤジから発せられる時、そこには崇高な意図が隠されている。

この世のものは滅ぶ。
全てのものは滅ぶのだ。
生まれたものは全て。
言葉も同様だ。

そして、少しばかり長く生きてきた者たち、つまりオヤジはその脳の中に多くの言葉を格納している。
その言葉たちは頭の中で、自然と結びつきあう。
言葉同士の結婚と言っても差しつかえない。
そしてその夫婦から生まれた愛の結晶、それこそがつまりオヤジギャグなのである。

その嬰児たるオヤジギャグを世に発するべきか。
オヤジは躊躇するだろう。
なぜなら、聞く側に不快感を与えることを理解しているからだ。

しかし思う。

オヤジギャグが世に出されないとどうなるのか。
オヤジギャグ=赤子は死することもできず、永遠に自らの内部に留まるだろう。
それは積み重なり巨大な怨嗟が自分の心の中に渦巻く。
そして最後に出てくるのは、呪いの言葉であろう、と。

そうなるくらいなら、毒が少ないうちに、世に出してあげるべきなのだ、と。

つまり、それは「弔い」なのだ。
生まれ出でた忌み子に対する、精一杯の弔い、なのだ。

まとめ

ということで、近くのオヤジがオヤジギャグを言ったとしても、止めろ!と思わないであげてください。
軽く流してあげてください。

そうすることで、世界が救われます!


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