大した理由もなく人を嫌ってしまうのはとても悲しいことですが、どうしても「この人ちょっと苦手だなぁ」と感じてしまう人っていますよね。
私がそう思ってしまう人は、共通してある言葉を口にする傾向があることに気づきました。
私にとって苦手な人が言いがちな言葉
「○ね」または「こ○す」
※この言葉は文字にしたくないので、お察しください。
たとえ冗談の雰囲気だとしても、この言葉をためらいなく使う人とは距離を置きたいです。
この言葉の対象が私とは関係ない人や物だったとしても、非常に滅入ってしまいます。
非常に強く、そしてネガティブな言葉ですからね。
子供はボキャブラリーが少ないし、社会にコミットしきっていないのでこの言葉をとても頻繁に使いますよね。
大人になってもこういう言葉を”つい”使ってしまう人は、幼児性が残りすぎているということに他なりません。
こういった人は依存性が高い傾向にあるように思われ、深く付き合うとこちらが参ってしまうような出来事が多い気がします。
だから距離を置くのです。
「クソ」
この言葉、本当に嫌いです。
スタンダードな「この○○、クソだな」というような何かを貶めるときに使う用法も嫌いですが、強調の意味で使う用法も同じくらい嫌いです。
特に「クソまずい」とかのクソ+否定的な言葉、より「クソうまい」というクソ+肯定的な言葉の組み合わせが本当に苦手です。
(「爆笑問題」の田中さんもラジオでまったく同じことをおっしゃてました。私、ファンになりつつあります)
この言葉を使うひとは、思考の柔軟性がないように感じます。
何かを断ずることにためらいがないのでしょう。
ただ、そういうタイプの人の方が、社会にはなじみやすいかも知れませんね。
「オレ(私)って思ったことを口にしちゃうタイプだから」
常にこの言葉を使う人に嫌悪感を抱いているわけではありません。
社会的な意識が高く、義憤にかられて必要以上にズバッと言い切ってしまい、それに自分自身も葛藤しているような人はむしろ好きです。
そうではなくて、失礼なことを言ってしまった後に謝るでもなくこういうことを言ってしまう人がたまにいるんですね。
自分が悪いのはわかっていつつも、謝るわけではなくむしろ偽悪を装うのか。
こういう人はプライドが非常に高いのです。
謝ることで自分の地位が低くなる(と思い込んでいる)くらいなら、悪人でいたほうがよい、と感じる傾向があるのかもしれません。
前の2つに比べたらずっとマシですが、やはりプライドが高すぎる人といっしょに過ごすとこちらも疲弊してしまいますので、適度に距離を置きたいです。
本人にとってもデメリットしかない!
攻撃的なことを口にする人って、そういった強い言葉を言ったことによってストレスを解消してスッキリしているかと思いきや、むしろストレスを抱え込んでいるように見えます。
このことについてちょっと疑問に思ったので、少し調べました。
脳はネガティブな情報を得たときに”最終的には”自分がそのネガティブな対象かどうかを理解するらしいのですが、少しタイムラグがあるらしいです。
脳というは様々な機能を持っていて、「すぐに判断する部分(扁桃体)」と「時間をかけて冷静に判断する部分(大脳新皮質)」があるため、タイムラグが生じるのです。
例えば対象が自分ではない場合の頭のなかの動きはこうです。
- 嫌な言葉が聞こえる
- 脳の「すぐに判断する部分(扁桃体)」が不快に感じる
- 脳の「時間をかけて冷静に判断する部分(大脳新皮質)」が自分じゃないと認識して不快を解消する
対象が自分だった場合はどうでしょうか。
- 嫌な言葉が聞こえる
- 脳の「すぐに判断する部分(扁桃体)」が不快に感じる
- 脳の「時間をかけて冷静に判断する部分(大脳新皮質)」が自分だと認識して不快は継続
どうでしょう。
実は自分が対象だろうがなかろうが、いったんは「2」の時点でダメージを喰らっているんですね。
これは、自分が発した言葉に対してもそうらしいです。
つまり人に対して攻撃な人は
- 嫌な言葉を他人に言う
- 自分の言葉が耳から入る
- 脳の「すぐに判断する部分(扁桃体)」が不快に感じる
- 脳の「時間をかけて冷静に判断する部分(大脳新皮質)」が自分じゃないと認識して不快を解消する
となり、ネガティブな言葉を日常的に口にしている人は、結局は他人に攻撃しているように見えて、自分に対して常に攻撃している状態です。
そりゃストレスも溜まりますよね。
もちろん近くで言葉が聞こえている限り、自分も他人事ではありませんよ。
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